愛しいあなたへ愛を込めて(将軍×行灯 本文へジャンプ

 3月14日。世の中では“ホワイト・デー”なるもので、世の男性がお金を散在させられる日。
 それが、今年は土曜日のため、前日の夕方から当日にかけて、デパートでは商魂たくましく“ホワイト・デー”商戦が展開されていた。

「バレンタインのお返しが、三倍返しって男にとって理不尽だと思わないか?」
「そうかな?」
 おっとりした答えに、聞いた俺が馬鹿でしたと、こっそり呟く長身の男。180センチをわずかに超す長身にカジュアルだが、男の色気をたっぷりと漂わせる着こなし。周りからちらちらと熱い視線が向けられていた。
 速水、何でお前は無駄にいい男なんだ。
 酔いすぎると可愛い絡み酒になる親友の文句に、お前だって性格はいい男だと言ったら、嬉しくないとどつかれた。そんな相手が誰よりも可愛く見える俺の人生は、とっくに終わったかもなどと思ってしまう。だが、それすらも心を高める一つでしかなかった。
「まあ、俺は全然そんなの気にしないがな」
 フォローのつもりで声を掛ければ、
「そうだろうな」
と、気のない返事が戻る。それは自分を無視しているからではない。ただ、真剣な目でスーツを選ぶのに集中しているからに他ならないと分かっている自分を褒めたいと思った速水だった。

 この日、珍しく東城大学医学部付属病院の万年講師と名高い?神経内科の医師、田口公平は春物スーツを買いにデパートに来ていた。万年でも大学の、それも医学部の講師である。トレードマークのよれよれの白衣にぼさぼさの髪でいるのを、社会人としてどうしたものですかなどと、ロマンスグレーの病院長に言われ続ける。それを無視していたら、腹黒たぬき。別のルートから攻めてきた。
 もっとも、攻められた方は高階病院長を嫁の父親で、ちょっと頑固で面倒だが尊敬に値する人物だと思っている。ちなみに、嫁の母親役は不定愁訴外来(通称、愚痴外来)の藤原看護師である。
 そのため、一人でスーツを買いに行くはずだった田口は、なぜかホワイト・デー当日に恋人とデパートにいた。
「こちらはいかがですか?」
 デパートの店員に声を掛けられた田口は、えっ!と驚いて顔を上げた。
「お前、自分のファッションセンスをちゃんと知っているのか? 自分で似合うのを探そうなんて、どう見ても100年は早いな。さっさとお勧めを試着して決めるぞ」
 勝手に付いてきたくせに、態度がでかすぎる…。ここはオレンジじゃないんだぞ。と内心、ぼやきまくっている田口をよそに、救命救急センターのジェネラルと呼ばれる速水はきっぱり言い切った。
「何でお前が仕切るんだ? 速水」
「行灯のことだから、こっちがいいか。あっちがよかったかと。いつまでもうだうだ悩みそうだからな」
 いかにも親切だと言わんばかりの速水の態度に、田口はそれはお前の都合だろうがと頭の中だけでぼやく。
「いいじゃないか。安くはない買い物なんだぞ。後悔しないようじっくり選ぶのが、俺の流儀なんだ」
「なんだそれ? で、結局は選べずに終わるのがオチか?」
 きっぱりはっきり言い切ると、東城大学医学部付属病院救命救急センター部長、速水晃一は店員に目配せした。速水のスーツはすべてオーダーで頼んでいる。値段はそれなりに張るが、自分を引き立てるアイテムとして必要なものだと認識しているので、妥協はしない。
 田口も決して見られない容貌ではない。それなりの格好をすれば、ほどほどはもてるに違いない。いかんせん、長年のずぼら生活が身について、外見を取り繕うことを放棄しているため、見た目で彼氏を選びたい年頃の女性にはまったく声を掛けられない。その代わり、外見が評価の対象にならない率が高い、お年寄りと子どもにはもてる。ついでに、動物にも好かれる。
 ブラシで解いてくださいと、再三言われるぼさぼさの髪は猫の毛のように触ると柔らかい。睫毛も長くて、瞬きをするたびに音がするのではないかと速水は、間近で見るたびに思う。
「まあ、そうかもしれないけど…」
 自覚があるのか。田口は幾分小さな声で抗議する。
「プロの目は確かだ。第三者の目で、お前に合うのをきちんと選んでくれるからな。お前のスーツ姿を見るのはお前じゃなくて、他人なんだといい加減納得したがいいぞ」
 速水はシニカルに笑うと、田口に店員が選んだスーツを押しつけて試着室に押し込む。
「さっさと着替えないと中で襲うぞ、行灯。俺の気がそう長くないのは、よーく知っているだろうが」
 意味深に、ことさら低い声で田口に告げると、分かったと慌てて服をひったくり、試着室に消えた。そのわずかに赤くなった顔を見送った速水は苦笑を浮かべた。
 いくつになっても、田口は可愛い。
 バレンタインの三倍返しの作戦成功に、速水は内心で拍手をしていた。このために、わざわざ土曜の今日、休みを取ったのだ。同じ医師でも、不定愁訴外来というのんびりした科を持っている田口は、官公庁の週休二日制に合わせて、土曜日は病棟の休日当番と当直がない限り休み。
 一方、速水は救命救急センターに所属するため、日曜も祝日も土曜日もない。救急患者はこちらの都合など関係なくやって来るのだ。労働基準法などとっくの昔に放棄した職場では、速水以下、“ジェネラルの近衛兵”と呼ばれるICUスタッフは、それこそ盆も正月もなく働いている。それを不満に思う者はいない。
 だが、たまには恋人とデートしたくなるのも事実だった。

 速水と田口。大学時代から二十年来の腐れ縁ともいえる友人であり、恋人同士。友人関係に耐えられなくなったのは速水だった。なにしろ、二十年近い片思いである。いい加減疲れてくる。ドクターヘリ導入の件や、オレンジ新棟の赤字量産状態や、採算にこだわる事務長との確執や…。
 本来、救急の現場で腕をふるっているのが自分に合っていると速水は信じている。なのに、救命救急センター部長として、様々な事務的難題が降りかかり、いい加減、切れそうになっていた。それでも、激務の間を縫って田口に会って、少々濃いめのスキンシップをすれば、浮上できた。だが、それも限界になる。
 何もかも投げ出しそうになったとき、速水は玉砕覚悟で田口に迫った。なりふり構わず、すがりついてでも田口が振り向いてくれるならば…。
 そうして、攻め落としたかつての友人は、速水にとって誰よりも大切な人になった。共通の友人である放射線科の准教授、島津には隠すわけにもいかず、速水は田口に悟られないようにしろと釘を刺しながら、話をした。やっぱりな、島津はそう呟くと同時に、お前の目はずっと田口だけ見ていたもんな、気づかないのは田口ぐらいだろうと大声で笑われる始末。しかも、これで速水も我慢を覚えるだろうとからかわれた。
 最近は、お前って本命の魚は釣った後、大切に水槽に入れて、せっせとえさをやって太らせて喜ぶやつだったんだなと感心されることしきり。それに対して、速水は島津がうんざりするような惚気話を語ってみせる。田口が聞いたら、即、実家に帰りますと言うことまで、楽しそうに嬉しそうに速水が話すのを、島津ははいはいと適当に聞き流す。でないと、どこまでつけ上がるか分からないジェネラル・ルージュなのだ。

 まっ、こっちにとばっちりが来なければ、みんな幸せでいいことだ。
 島津は二人を友人という目で眺めている。だが、それだけですまないのが、ジェネラル・ルージュと異名を取る速水だった。バチスタ・スキャンダルからしばらくして、オレンジ新棟の将軍が贈収賄に絡んでいるという事件が起きた。その際、島津はエシックスとの関わりで、院長から呼び出された。
 桜宮市に速水は必要な人間だ。あれだけの人材をむげに失うのは東城大学にとっても痛い。
 だが、速水は救命救急センターの赤字といつまでも入らないドクターヘリに決着を付けるため、自分で自分に結末を付けようとしていた。それを止めるには、速水の熱望するドクターヘリを入れればいいのだが、それは財政上無理だった。ならば、田口を利用するしかない。
 腹黒病院長の特命で愚痴外来の看護師、藤原をも巻き込んで速水の引き留め大作戦が計画された。その実行犯が島津。二十年来の友人と言う名目で、島津は田口を速水への人身御供に仕立て上げた。
 ドクターヘリ導入以外にはたいして執着しない速水。島津から見れば、全く性格が違うだけに、逆に気が合うのだと思う。特に速水は自分がスピードスターなため、昼行灯の田口に惹かれるのだろう。友人の好意が愛情に変わり、より相手に執着しているのは速水の方だった。それは見ているだけで直ぐに分かるぐらいはっきりしていた。
 すべてから逃げようとする速水を止めるには、仕事だけに目を向けていたのを違うところへ向けさせればいい。病院長の単純でいて、明確なコメントに島津は顔が赤くなった。要は速水が田口との恋愛に嵌ればいいというわけである。
 あの行灯に、速水が夢中になるか? 島津は首を捻りつつも、院長の計画を実行するべく、不定愁訴外来の藤原看護師と結託して、まんまと田口を家なき子にし、速水の元へ送り込んだ。
 結果は高階病院長の予想通り。ジェネラルの意識は田口へと一直線に向かった。オレンジにいない時間はすべて田口に占められるぐらい、彼は恋愛しまくった。ただし、あまりに機嫌が良すぎて、不気味と一部では囁かれるようになったが…。
 そして、そんな速水の頭に花が咲いているとは気づかない救命救急センターの副部長代理の佐藤は、機嫌が良すぎる上司に頭を捻った。仕事では相変わらずチュッパチャップスが飛んでくるが、それ以外ではあまり不機嫌な顔は見せなくなった。佐藤はそれがいつまで続くのか内心、びくびくしながらも、平和な日々に感謝していた。その原因が田口との新婚生活?を満喫しているせいだとは知るよしもなかった。

「どうだ? 派手すぎないか?」
 試着室から出て来た田口は、はにかんだような、恥ずかしそうな顔で速水をちらりと見た。
「いや。悪くないな。プロが選ぶだけのことはある」
 さりげに田口を納得させるよう、速水はゆっくり話した。
「……」
 案の定、速水の低くてよく通る声が好きな田口は、うっすらと首を赤くしてぷいと明後日の方を見る。
「文句はないよな。だったら、これにしておけ」
 速水は田口に返事をする暇を与えず、さっさと決めると、再び、細い体を試着室に押し込んだ。しぶしぶ納得したような顔で、田口が消えるのを確認した速水は、もう一組用意されたスーツを手にしながら、
「こっちのも一緒に包んでくれないか?」
と店員に頼み、さっさと自分のカードで支払いを済ませた。速水が支払ったと知ると、田口はぶうぶう文句を言うだろうが、これは“バレンタイン・デー”のお返しなので速水も引くつもりはない。

 田口がくれた本命の「バレンタイン」チョコは、彼が小児科の子どもたちと一緒に作った手作りのチョコだった。形はかなり不細工だったが、田口が一生懸命作ったのだと思うと、味なんかどうでもよかった。
 その夜、速水が田口を一晩中離せなかったのは当然と言えば当然で…。その結果、田口が翌日起き上がられなかったのも当然だろう。速水が出勤の用意を済ませても、田口はベッドで唸っていた。
「今日は無理せず、ゆっくり寝ていろよ。あまり痛いときは薬を飲んどけよ」
「ん? 分かったから、早くオレンジに行けよ。遅くなるときは電話を入れるのを忘れるなよ」
 言外に当分帰ってこなくてもいい。と言われても、速水はめげない。ちゅっと田口の頬にキスをして、自分へ意識を目を向けさせる。
「自主当直なんかしないから、安心してろよ」
「期待してない。」
 そんな田口に速水は日勤が終わる前に帰るコールをした。
 一方、一人残された田口はリビングのソファでふて腐れていた。疲れと腹立たしさで食事を作る気もしない。なので、昼はカップラーメンで済ませた。ちなみに朝食は速水が作り置きをしてくれていたので、それを怒りながら平らげた。今日は一日ストライキだと、勝手に決めると田口はずっとだらだらした時間を過ごしていた。時折、本を読む以外は。
「ああ。夕食作る気力ないから、適当におかず買って来てくれないか? ご飯だけは炊いてある。いや、大丈夫」
 珍しく定時を少し過ぎた時間に掛かってきた速水の電話に、適当な返事を返す田口。速水にしても、今朝の状態で夕食を作れだの、掃除ができないなど言うはずはない。なので、田口はぐうたらな格好と態度で速水の帰宅を待った。
「ただいま♥」
「……」
 しかし、速水の甘ったれたただいまの甘いキスと抱擁に、田口の怒りと不機嫌はどこへやら。
「…おかえり」
 ハートマークは語尾に付かないが、それなりの返事。
「お土産♥」
 差し出されたコーヒー専門店のロゴに、田口は期待に目を輝かせる。
「これ、ブルーマウンテンじゃないか。しかも、最高級の」
「気に入った?」
「もちろん。高かっただろ?」
「この笑顔に比べれば、安いと思うぞ」
 ソファに懐いたままの田口の前に座った速水は、ちゅっと触れるだけのキスを唇に落とす。田口は速水流のご機嫌取りに真っ赤になった。
「ありがとう」
 速水に言いたいことは沢山あったが、一人で考える時間があっただけ田口は素直になれた。少しぐらいの暴走も自分に対する愛情の一つだと思うと許せてしまう。それは自分も速水が好きだから。
「せっかく定時で帰ってきたんだ。夕食は俺が作るから、お前はコーヒー豆でもひいとけば?」
 そう言うと、速水はさっさとエプロンを身につけ、キッチンへと向かった。その姿を珍獣でも見たような顔で田口は見送ると、極上のコーヒー豆の袋に鼻を寄せて、この香りを嗅ぐたびに今日のことを思い出すのかなとそっと呟いた。

 そんなあまーいバレンタインを過ごした速水が、“ホワイト・デー”に気合いを入れるのは当たり前。
「着替え終わったら、次いくぞ」
「えっ? ちょっと、速水。まだ、支払いを済ませていない」
 田口の腕をつかんで歩き出す速水に、田口は焦った声で抗議する。
「お前がのんびり着替えている間に、俺が支払っておいた。あとでちゃんと返せよ」
 店員の目がある手前、速水はそんな軽口を叩きながら、田口を引っ張って行く。この後も、デートは続くのだ。こんなところで、のんびりしている暇はない。
「なんで、そんなにせっかちなんだ?」
 呆れたような口調の田口に速水は立ち止まると、滅多に見せない無邪気な笑みを端正な顔に浮かべた。
「せっかくのデート日和。時間がもったいないだろう」
「そうか?」
 相変わらず、ぼんやりした返事を返す田口。突っ込むところはそこじゃないだろうと思う反面、そこが可愛いと思ってしまう自分に速水は、もう終わったと思う。それでも、田口を見る目は愛しさにあふれ、穏やかな微笑みがその口元に浮かんでいた。

                    Copyright©2009 Luna,All Rights Reserved
    てなわけで、勝手にデートをしてくださいです。この後、ジェネラルはどこに行灯を連れて行くんだろう。動物園だったら笑うかも。

 平成21年3月16日(月)  作成
平成21年4月25日(土) 一部改訂
inserted by FC2 system