彼が北へ行けなかった理由 12a 本文へジャンプ

「この年末に緊急で手術をする羽目になるなんて、お前はよっぽどくじ運がいいのかもしれないな」
「え? くじ運が悪いから、こんな目に遭うんだろう…」
 痛み止めでようやくほっとした田口は、速水に入院道具を準備して貰いつつ、ぼやく。ちなみに、VIP専用の十二階極楽病棟にある『ドア・トゥ・ヘブン』は、某国会議員が野党からの追及から逃げるために籠もっているため、整形外科病棟の個室だ。
 実はこれに関して、ちょっとした大騒ぎが各病棟で起きた。というのも、田口を入院させると、もれなく速水が付いて来ると気づいた各病棟の女性陣が、何とか田口を自分の所へ入れようと画策したのだ。神経内科を筆頭に泌尿器科や眼科や耳鼻科、さらには脳神経外科に小児科?などからも、病室を用意しますと言われて、田口はぽかんとなった。オレンジ新棟や極楽病棟は分かるが、なぜ病院長が統括する消化器外科やら、黒崎が取り仕切る臓器統御外科などからも、病室を用意しますと言われるのか。田口は訳が分からず、一人首を捻った。
 速水の方は声が掛けられる理由に薄々気づいたが、それを田口に話すはずもなく、病棟同士の田口の取り合いを、ひとりニヤニヤと眺めていた。

「それにしても、災難でしたねぇ」
 悲報?を受けた高階病院長は、整形外科部長の山室を伴って、直ぐにオレンジ一階のICUに入れられた田口を見舞った。
「それにしても、田口先生は運がよかったですね。速水先生が直ぐに対処してくれて…。この時期、どこも急患で外科医や整形外科医は大わらわですから…」
 よかった。よかった。人が良さそうな顔をして病院長は笑顔を浮かべる。
「ええ」
 田口は曖昧に頷いた。確かに、この年末、病院関係者じゃなければ、どれだけ救急外来で待たされることか。でも、今日はまだ通常業務の最終日だ。本格的な休みは明日から始まるのだから、それほど待たされるはずはないのでは?と思っても、口に出さない。
「今年は年末年始に連続当直なんかしないで、家でゆっくりしろということだろう。だいたい、お前は、正月は病院でおせちと初日の出を見ないと、幸せが来ないと信じているんじゃないのか? 初詣なんてしたことあるのか?」
 速水が容赦なく田口の年末年始の様子を暴露する。
「当直入れとくと、家に帰らない言い訳にできるし、病院は寒くないし、満天特製のおせちは俺にはちょうどいい量だし…。お雑煮も食べられるし…。屋上からは綺麗な初日の出も見られる。いいことづくしじゃないか」
 真剣な顔で、田口は速水に反論する。それを高階と山室は顔を見合わせて、呆れた。そんなアホな理由で年末年始を病院で過ごそうなんて、極楽病棟だからできることだ。これがオレンジだったりしたら、インフルエンザに罹ってでも休みたいというのが本音だ。
「…田口。それはお前の理屈であって、そんなお前を高階さんも俺も、山室さんもヘンだと感じている。いいか。起承転結。春夏秋冬。温故知新。いいか。愚痴外来なんてものを、これからもお前が続けていきたいのなら、絶対に正月や大晦日などのイベントを無視するな。ちゃんと、先人の知恵と慣習を大事にしろ」
 速水は、その仕事ぶりや性格から想像できないようなことを口にした。
「別に続けたいとは思っていないけど…」
 やる気モード0の田口のコメントに、速水の端整な顔に怒りマークが浮いた。
「お前が思っていなくても、世間の需要があれば、それに応えるのが使命だろうが…」
 少々、強い口調で速水が言い切った。
「田口先生。最先端の医療に通じている速水先生ですら、日々の生活を大切にしているんですよ。もちろん、田口先生のような仕事熱心な医師も必要です。でも、医者も人間です。特に田口先生のような内科系の医者にとって、人の生き方に共感できるのは大切な感性だと思います。温かいからとか、家に帰るのが面倒だから、病院で済ませちゃえというのは、駆け出しの医師なら分かりますが…。
 田口先生は、医師として十分なぐらいのキャリアを積んでいらっしゃいます。しかも、有働先生からの信任も厚い。そして、本院の誰もが為し得なかった不定愁訴外来というとても重要な診療科を担ってくださっています。不定愁訴外来を受診される患者さんたちは、日々の生活を丹念にお聞きすることが大事だと私は聞いております。彼らのお話をしっかり理解するには、常識ある生活はとても大切だと私は思うのですが…」
 高階がとうとうと、田口に常識的な生活を説明する。その横で、整形外科のトップである山室も、うんうんと頷いている。
「ほらっ。高階先生だけでなく、山室先生も同じに思っているんだぞ。ちょっとは世間っていうのを気にしろ。愚痴外来に籠もるのもいいけど、たまには外を眺めろよな」
 速水がここぞとばかりに責める。
「田口先生、安心してください。幸い、今日は今年の診療最終日。我が整形外科教室では医局員が全員揃ってます。足首の手術など、直ぐに準備して、片付けてしまいましょう。そして、お正月は自宅で迎えられるようにしましょう」
 うんうん。よかった。よかった。と頷きあっているのは、田口以外の外科医たち。それを横目に、田口は、『だから、家に帰りたくないって言うか。今年は家、ないんですけど』。と、こっそりぼやいていた。
「安心しろ。俺もお前の手術には付いてやるから、いざとなったら、俺がお前の足、つないでやる」
 速水がきらきらした目で田口を覗き込んだ。
「……ありがとう…」
 一応礼を口にした田口。だが、
「速水。付いててくれるのは、とっても嬉しいけど。俺の足、外れてないから…」
と、訂正するのは忘れなかった。
「ああ。わりぃ。折れただけか。いや、オレンジに来る患者は、足が別になっていたり、いったん外してつなぐとかばっかりだから…」
「…」
 ちょっと速水の言うところの自分を想像して、田口は気分が悪くなる。折れたと言われたときは、前途真っ暗になったが、これで済んでよかったかも。そんな風に思えるぐらい速水の口調は軽かった。
「では、田口先生。手術の前に、もう一度、お会いすることにして、私はこれから御用納めに行ってきます」
 高階はそう言うと、
「あとは速水君、よろしく」
と、病室を後にした。残された山室は、
「田口先生。のちほど、執刀医が説明に来ますので、それまではゆっくりしていてください」
と、心底、気の毒そうな顔をして田口を見つめた。
「ありがとうございます。こんな時に、本当に済みません。よろしくお願いします」
 田口はベッドに寝たまま、山室に頭を下げた。
「痛みのコントロールは田口先生も速水先生も専門だと思いますので、必要なものがありましたら、ナース・ステーションに連絡をください」
「ありがとうございます」
 速水は田口は揃って頭を下げた。
「それでは、私はこれで…」
 整形外科部長の山室がようやく退場した。

 二人の大物を見送って、速水はよいしょと、田口のベットの端に座った。
「一応、入院に必要そうなものを持って来たけど。足りないものはないか?」
 速水が差し出したスポーツバッグを、上半身を起こした田口が開けた。中には、田口の荷物から探したのだろう下着などがあった。
「歯ブラシやタオルもいるかと思って、取りあえず持って来た…。あと、寒いかもしれないから、上着も」
「これ、俺のじゃないと思うけど…」
「ああ。お前のけっこうへたっていたから、俺のを持って来た。ちょっと、でかいけど、ヘンな噂立てられるよかいいだろう。まあ、そんなに長い間、いる訳じゃないから、これで耐えとけ」
 にっこりの速水。俺のがいいというのは言えない雰囲気なので、仕方なく、田口は速水の好意を受け取ることにする。
「ありがとう。速水も忙しいのに、いろいろ、迷惑を掛けるな」
「いいってことよ。こんな事がないと、行灯を思いっきりかまえないし、構っても拒否されない」
 意味深に、だが、嬉しそうに速水が笑った。


「速水。俺、手術って初めてなんだけど、麻酔って、ちゃんと目が覚めるよな」
「たいていはな。たまーに、本当に、ごくたまーに目覚めないままの人がいるけど。その人って、ずっと三途の川のほとりをさまよってんのかねぇ」
「…冗談はやめろよ」
 田口が速水の服を掴む。
「いや、ホント。まあ、俺はさまよっていた人から、直接、話を聞く機会はないから分からないけどな。ICUの看護師たちがそんな話をしているのを耳に挟んだことがあるぞ」
「……おま、おま、おまっ…」
 ちゅっ。
「…え?」
「慌てるな、行灯。お前はそんなことにならないよ」
「だよな」
「俺がそんなとこ、のんびり散歩させるもんか。お前のことだから、三途の川の辺なんて気づかないで、ほけほけ歩いて、ぼうとしているに違いないからな」
 速水が田口を抱き締めて、囁く。
「そんなことない!」
 必死で否定する田口。
「そんなの分かんないだろう。学生時代、お前は学年一のサボり魔だったんだぞ。絶対、お花畑で昼寝する」
 断言する速水が妙に必死なのが、田口は面白いと思った。
「そんなに綺麗なのか? お花畑…」
「らしいぞ。俺は行ったことがないから、知らないけどな」
 速水が悔しそうに言う。それは別に知らなくてもいいんじゃないか? いや、知らない方がいいと思うけど。と、田口は思う。だが、速水に抱き締められているのは、安心できる。だから、あえて、それを外そうとは思わない。
「俺も行かなくていい。行きたくない」
「行かせねぇよ。俺がお前が勝手に行くのを認めるはずないだろう。それを絶対に忘れるな」
「うん。速水…」
 周りから丸見えのICU病棟。師長の花房は、速水と田口の様子にため息をついた。そして、この場に如月翔子がいなくてつくづく良かったと思った。
 佐藤は、自分の上司が田口にだけ見せる顔が、ジェネラル・ルージュと呼ばれる男の本当の素顔だと初めて気がついた。


                       次のページへ

                    Copyright©2011 Luna,All Rights Reserved
    12.5です。12と13の間を補填する本編です。続けて書くと長くなるので、0.5としました。
なくても、大丈夫だけど、手術までの行灯先生とジェネラルのベタベタを書きたかったんです。
 例のごとく行き当たりばったりで書いているので、所々?な点があるかもしれません。時間ができたら、訂正します
 平成23年3月21日(月) 作成・掲載
inserted by FC2 system