彼が北へ行けなかった理由  本文へジャンプ

「なあ。速水、本当に行くのか?」
 田口がグラス片手に、速水に絡む。
「今更、ここに残れるかよ」
「でも、お前がいなくなったら、オレンジは。いや、桜宮市民は誰に命を託せばいいんだ?」
 田口がぽつんと呟く。
「それは佐藤ちゃんたちがしっかり守ってくれるだろう」
 自分がいなくてもオレンジを支えるだけの力を付けていると、佐藤たちを評価したい速水だ。いや、できるだけの力を付けさせたと思う。
「それに俺は三年たったら帰って来ることになっている。帰って来られるかは高階さんにかかっているけどな」
 速水はシニカルに笑った。
「そっか。やっぱり行ってしまうんだな」
 田口が寂しそうに呟いた。
「ああ。俺がいなくなると、寂しいのか?」
「寂しくないっていえば嘘だよ。だって、速水は俺の大学からの大切な友達で、ずっと側にいたから…」
「田口…」
 田口が縋るように速水を見る。手にしたグラスの氷が、カランと音を立てた。
「飛行機に乗れば、直ぐに会える」
「羽田は遠いよ、速水」
 ものぐさな田口にとって、羽田空港までが遠い。桜宮市には飛行場はない。一番近い所は、たぶん静岡空港か、セントレアだ。
「新幹線に乗って東京駅で北斗星に乗り換えると、時間は掛かるが一晩寝れば、北海道に着くぞ」
「でも、一人で乗るのは嫌だ」
 なーにをわがままを言っているんだと速水は呆れる。呆れながらも、自分と別れるのが嫌だという田口が可愛いと思う。
「なら、一緒に極北に行くか?」
 ちょっとくせっ毛の田口の髪に手を入れつつ、速水は低い声で囁いた。絶対に、田口がうんと言わないのを確信して。
「…行ってもいい」
 だが、田口の答えは速水の予想を超えていた。
「はぁ? お前、今、何て言った?」
 速水は自分の耳を疑った。空耳じゃなければ、田口は行ってもいいと言ったはずだ。それが事実だったら、喜びより疑問符の方が先に立つ。何で、こいつは極北に行くと言うんだ?
「田口!」
 幾分強い口調で田口を促すと、
「だって、飛行機に乗れば直ぐなんだろう。新幹線と北斗星に乗れば、寝ているうちに着くんだろう。だったら、俺がここにいなくたって、いいんじゃないかなぁって」
「本当は何を言いたいんだ? 俺がいなくたって、お前は一人で歩けるはずだ。島津もいるし、藤原さんだって、高階さんだっている。何で、誰も知らない極北に行くんだ?」
「なんでだろう。ちょっと一人になりたいのかも…。家族から離れて、家族を見つめたいのかも…」
 田口がグラスを一気に煽って呟く。
「お前、そんなに親父さんのこと。引っかかるのか?」
「…」
 速水にはどうしても理解できない。田口の父は速水から見ても、特別変な人ではない。それなのに、田口はその愛情を受け取るのをためらう。
「だって、いつも日本にいないから、たまに会っても親父って感じがしなくて、いつもどっかのおじさんなんだよ。あっちが両手で俺を抱き締めれば、抱き締めるほど、この人は誰だって戸惑うんだ。で、そんな俺に親父は悲しい顔をするんだ。それを見るのが辛くて…」
 田口がぽつぽつと、自分の中にある葛藤を口にする。不器用な親子だと、速水は思った。だとしたら、田口が先ほど口にしたのは、本当は自分に行って欲しくないのかもしれないと考える。田口も不器用なのだ。
「なあ、田口。俺に行って欲しくないって言えよ」
「……」

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    うちの将軍はいじめっ子です。田口先生に行かないでと言わせたいのも、分かるけど。
行っていいよ。とあっけらかんと言われるのは、きっと考えたこともないんだろなぁ。
平成23年2月27日(日) 作成・掲載
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