彼が北へ行けなかった理由  本文へジャンプ

「速水。お前、実家には引っ越すって連絡したのか?」
 田口が少しだけ心配そうな顔をして、速水に尋ねた。
「してない。そんなの後でも構わないし、今は携帯電話なんてあるから、別にどこにいようとも話はできるだろう」
 田口が側にいるのに、何となく不機嫌な速水だ。それが何なのか。田口は気づかない。
「そうじゃなくて、何かあったとき、お前の携帯は留守電すら設定していないから、連絡先は付属病院だろう。そこで、速水先生は極北市に転勤しました。って言われたら、やっぱりショックだと思うけれど…」
 田口はまったり口調で、速水を見上げた。。
「それは、田口からのありがたい忠告だと受け取っておくが…。行灯、お前、ここがどこか分かっているんだろうな」
「もちろん。速水ンち」
 えへっ。と訳が分からない星が田口の目に浮かんでいた。
「確かに俺の家だ。でもって、お前が敷いているのは何だ?」
「何って、枕」
 田口は速水家のリビングで、持参した愛用の枕を胸の下に敷いて、まったりテレビを見ていた。速水にしてみれば、何で、お前は他人の家に枕を持って泊まりに来たあげく、寛ぎまくっているんだ。である。確かに、年内に引っ越してくればと言ったのは、速水だが、この他人の家を他人のうちと全然意識していない田口の変?に、何か知らないが腹が立ってくる。
「お前、なに寛いでいるんだよ。これから、世話になる家主には一言の挨拶もないのか?」
「ほえ?」
 一瞬、呆然となり、何を速水が言ったのか。咀嚼する田口だった。
「あっ、ごめん。つい甘えて…」
 そう言うと、田口は床の上にきちんと正座した。そして、
「速水晃一君。これから、どうぞよろしくお願いします」
と頭を下げた。対する速水は、あまりに丁寧な田口の挨拶に、こちらもしっかり正座をして、
「こちらこそ、末永くよろしくお願いします」
と頭を下げた。二人とも、どこかの新婚初日の夫婦のようなことをしているとは、全く気がついていない。だが、
「速水ぃ。やっぱり大きなテレビっていいよなぁ」
とだれる田口。しばし、じーんと田口が側にいる事への感動に浸っていた速水は、こいつとラブラフな生活なんて…と、がっくりと肩を落とした。それでも、
「そうかぁ?」
と気が抜けた返事を返す。
「迫力が違うもん」
 田口は自分が愛用していた14型のテレビと、まったく迫力が違う大型テレビに釘付けだ。
「ふーん」
 適当な返事をした速水は、こいつに緊張感はないのかよ。襲ってもいいのか? と怖いことを考えていた。
「ところで、行灯。いつまでも、テレビにかじりついていないで、少しは荷物整理をしろよ。お前の年賀状、書きかけがそこらに散らばっているぞ。て言うか、まだ、出してなかったのか?」
「だってぇ」
 ちろっと田口が速水を見た。
「住所、どこ書いたらいいのかなぁって考えてたら…」
「なるほど…」
 もっともらしい言い訳を田口がしたのを、速水は寛大に受け止めた。確かにもともと住んでいたアパートは引き払うことになっている。かと言って、きちんと新しい部屋が決まったわけではない。
「俺、今警察に捕まったら、住所不定?か不明になるんだよな。うわーっ、年末年始は大人しくしておこうっと」
 ぽふっと枕に顔を埋めて、一人悩める田口を見ながら、速水はこいつって根っからの脳天気だよなと感心する。自分は極北救命救急センターに飛ばされるというのに…、ちょっとぐらい寂しいとか、悲しいとか、悪かったという気持ちはないのかと責めたくなる。
 実は田口。速水を口実にこの正月はここで寝正月にしようと考えていた。そして、速水は田口を口実に、桜宮市にある田口の実家で寝正月をしようと考えていた。せっかく、年末年始の救急搬送から解放されるのだ。二度とないかもしれない休みを満喫しても、罰は当たるまい。
 それにしても、速水も田口も寝正月というのが情けない。最も、普段が激務?の彼らにしてみれば、正月ぐらいは寝かせてくれが本音だったりする。
「それは大丈夫だろう。身元引き受けには、きっとお父さんが名乗り挙げてくれるだろう」
「それは嫌かも…。あの一本も二本も頭のネジがずれている父親だよ。今年は久しぶりに帰ってくるって、連絡があったらしいけれど。俺はもう一生、帰ってくるなって言いたくなったりして」
 心底うんざりしたように、田口が呟いた。
「…それは子どもとして失礼だろうが。あっちはお前のこと可愛がっているだろうに」
「確かに、可愛がっているのは分かるけど。誕生日とクリスマスには律儀にプレゼントを贈ってくれるぐらいには…。けど、速水もあんなのいるか?」
「まあ。そこは気は心ということで」
「できない。絶対にできない。のしつけられるなら、のしを付けて、パパも一緒にお前にお歳暮としてあげる」
「お前…」
 そこまで息子に嫌悪される田口の父親って?と、誰もが思うだろうが、速水は嫌いではない。こんな年の息子に、クリスマスと誕生日のプレゼントを欠かさない父親など、滅多にいないだろう。その点で、速水は田口父を尊敬している。
 とは言っても、アフリカの原住民御用達の怖い柄のお面や、アマゾンのジャングルに生息する原住民手作りの貴重な?衣装は、もらってもどうしたらいいのか悩むのは、分からないでもない。それでも、愛が詰まっているのだから、大事にしたいと思う。
 田口の父親。職業は獣医師。それも日本では数少ない野生動物専門の…。そのため、一年のほとんどを海外のジャングルか、サバンナといった過酷な地域にいる。しかし、その手腕は高く評価され、野生動物の治療に置いては世界でも屈指の技術を持っている。
 そんな田口の父は、息子が医師国家試験に合格した祝いに、北極に生息するイッカクの角を送ってきた。添えられた英語の手紙には、「イッカクの角は幸運のお守りだと言われている。公平にも幸運がありますように。オーロラの見える北の海から 父より」とあった。田口は一目見て、1メートル以上ある角がとても貴重なものだと分かっていながら、いらんと速水に押しつけた。
 そんな風に、父親から田口に届けられるプレゼントは、愛は籠もっているかもしれないが、迷惑な代物ばかりだ。しかも、学術的には貴重なものばかりなので、東城大人類学の教授は毎回、何が届くのかとても楽しみにしていたりする。それを幸いに、田口はプレゼントの品々の保管を、ちゃっかり文学部に委託していたりする。ちなみに、くだんのイッカクの角は、獣医学部の資料室に飾られている。そして、それを知った父は、もう少し小振りなのを二本送ってきた。その時の手紙には、「速水君と分けなさい」だった。
「お前、パパを無視するつもりか?」
「そうしたいけど。やっぱりやばいよなぁ」
「あの公平君大好きパパが、お前が無視したと知ったら…」
 速水が意味深に呟くと。
「へいへい。速水は親父から好かれているから、代わりに親孝行しておいてくれよ。で、俺はその間、当直しておくから…なっ?」
 田口が両手をすりあわせて、頼み込む。
「だーめ。俺をお前の家庭の事情に巻き込むな。それに頼み事をするときは、それなりの報酬を用意するものだろう」
「うわーっ。お前、えげつない。どっかの悪代官みたいだ」
 田口はげーっと顔を歪めると、枕を抱いて、テレビへと顔を向けた。
 本当にため息を尽きたいのは、速水の方だ。自分を親友と信じて疑おうとしない昼行灯に、どうやって自分の愛を分からせればいいのか。前途多難な速水だった。


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    田口パパって、どんな人? 私にはそこまで設定ができていません。うーん。困った。
平成23年2月13日(日) 作成
平成23年2月22日(火) 掲載
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