ひな祭り 前奏曲 1  本文へジャンプ
 「公平せんせ。次は何をするの?」
 くるくる大きな目を見開いて、小児科病棟のプリンセスたちが、田口に尋ねる。
「そうだねぇ。来月はひな祭りだから、その準備でもしようか?」
「おひな様、飾るの? 病院におひな様あるの?」
 よほど嬉しいのか。わらわらと少女たちが田口に走り寄って、口々に?を連発する。
「飾るんじゃないよ」
 えーっ! 一斉に不満の声が上がる。
「君・た・ち・が、ひな飾りを作るの」
「え?」
 今度の『え?』は先ほどの、『え!』とは違う。
「…作れるの?」
 田口の白衣をそっと引っ張って、夏美ちゃんが小さな声で尋ねる。
「うん。デパートや病院の玄関に飾ってあるような大きくて立派なものじゃないけれど、みんなが作るおひな様はひとりひとりの気持ちがこもっている、とっても素敵なものになると思うけどな」
「でも、難しいでしょ」
 中学生の満里奈ちゃんは、さすがに現実と向き合っている。
「だから、玄関にあるような物じゃないから、大丈夫」
「私、美術苦手だもん」
「私も…。家庭科、できないもの」
 中学生が次々と実技系の科目ができないことを口にした。彼女たちは院内学級に通っていても、いわゆる五教科を学ぶだけで精一杯だ。実技系を学ぶ時間はほとんどない。
 だから、田口は体験させたいと思っている。病院という狭い世界でしか生きられず、毎日、退屈と死の影におびえる生活が少しでも明るくなれるよう、人間の付き合いを大切にできる子どもになれるよう、多くの人との接触を図っている。
「だから、そんなに難しいものは作らないから大丈夫。私がそんなに器用だと思うかい?」
「…だけど、公平先生のお弁当、すっごく上手で美味しいし…。お菓子も上手に作れるし…」
 誉められることがあまりない子どもたちは、自己肯定感がなかなか育たない。決して、人より劣ってはいないのに、自分は駄目だと思ってしまう。
「そんなことないよ。まだまだ、私のお母さんはたくさんの料理が作れるし、お父さんはアフリカの動物たちと顔見知りだと、いつも自慢しているよ。それに、この前は速水が、何でお前の餃子って、カリってしてないんだ?ってぼやいたよ」
「えーっ、晃一先生。自分は食べるばっかりで、作んないくせに、わがままーっ」
「作るの面倒なのに、作ってくれるだけで感謝しないとねぇ」
 少女たちはなぜかいつでも田口の味方だ。
 その彼女たちが一斉に口をつぐんだ。変だなあと田口が思ったのもつかの間、
「まーた、俺の悪口を言っているんだろう。行灯く・ん」
と声と共に、ばしっと分厚いカルテで頭をぴっぱたかれて、田口はう゛ーっと唸って、しゃがみ込んだ。
「ひどーい。晃一先生、公平先生が優しいからって、いじめていると、捨てられるわよ」
「私、結構、イケメン好きだったけど、晃一先生見ていたら…。アイドルは遠くで見ているだけがいいって、よーく分かった」
「晃一先生って、顔よし、頭よし、スタイルよしで、うちのお母さんなんて、見かけるだけで大騒ぎよ。私が一緒に写っている写真を見て、ずるいって言うんだけど…」
「性格がねぇ…」
 言われ放題の速水だ。
「いや。…もういいから、速水はこれでも、いいところもあるからね」
 いてて。とぼやきつつ、田口は速水のフォローをする。彼女たちのパワーにたじたじとなる速水を見るのは、楽しいけれど、速水が静かに水面下で怒りを募らせているのが分かる。このとぱっちりは田口に降りかかるのだから、止めたくもなる。
「で、小児科に何か用があるのか?」
 田口は速水がここに居る理由が思いつかない。
「んー。ちょっと息抜き? お前ん所行ったら、藤原さんが“田口先生は小児科ですよ”と言うから、戻って来たわけ」
「ふうん」
 センター長権限って、勝手に休憩を取れるなんていいなぁと、田口は思う。実際はそんな権限がセンター長でも、速水にあるはずもなく、単に暇だから遊びに来ているのだ。部長室で事務処理に励むのも大事だが、基本、速水は血が飛ぶ現場が大好きだ。
「で、何を計画しているって? バレンタインは終わったぞ」
「晃一先生。私たち、バレンタインなんてどっかのお菓子会社の計略なんて目じゃありませんわ。日本人たるもの、古式由来の伝統を重んじますのよ」
 気の強い満里奈がきっぱり言い切る。聞いた田口は、つい先日、バレンタインのチョコを渡す渡せないで彼女が大騒ぎしているのを知っているだけに、笑わないよう必死でクールな顔を保つ。
「さようですか。で、古式由来の伝統は何でしょうか? プリンセスたち」
「「ひな祭りですわ」」
 満里奈と陽菜が声を揃える。
「なるほど。そう来たか。うちのプリンセスはちっこいから、すっかり忘れていたな」
 速水はポンと手を打った。
「ありすちゃんも、女の子よ。忘れたら駄目なんだから…」
 速水の白衣を引いて抗議したのは、夏美だった。引っ込み思案で、大人しい夏美だが、田口が大好きで、彼が小児科病棟にいるときは側から離れようとしない。両親が彼女の病気が原因で離婚し、治療代を稼ぐために、母親は働いているため、滅多に会いに来られなくなっていた。小学校二年生のはずだが、体格はかなり小さい。速水も最初は保育園年長かと思ったぐらいだ。
「ありすはお前らと違って、お利口さんだからな。パパに反抗したりしないから、忙しさについ忘れていた」
 威張る速水だが、ありすは結構やんちゃで、速水は時として、邪魔と足で蹴られていたりする。
「親ばかー」
「親って、誰でもそうなんだよ。お前らの親だって…」
「…」
 今まで生意気な事を口にしていた中学生が黙る。所詮、彼女たちが速水に勝てるはずもなし。何だかなぁ。と思う田口だ。
「まっ。一番の親ばかは速水だと俺は思うけどね。で、ありすのひな祭りのためにも、お前も一緒にひな人形作りをしろよ」
「…いいぞ。お前ら、俺の器用さに感動するなよ」
「…」
 そこまで、テンション上げなくてもいいから。が、田口の声。更に言えば、速水よ。なぜ、お前は中学生や小学生の子どもにそこまで対抗意識を持つんだ?である。一度じっくり速水の気持ちを聞いてみたいが、怖ろしい台詞がぽろぽろこぼれてきそうで、怖くて聞けない田口だ。
「速水、大人なんだから…。とにかく、材料集めには協力してくれよな」
「ああ。ありすのためだからな」
「えーっ。私たちは?」
「お前たちは、お・ま・けに決まっているだろう」
 ひどーい。ずるーい。意地悪ーっ。喧々囂々、子どもたちの非難の声もどこ吹く風の速水だ。

「どうしたの、声がうるさいわよ」
「あっ、すみません。大騒ぎをしてしまいました」
 小児科の看護師がどうやら子どもたちの大声に、何が起きているのかと覗きに来たらしい。彼らがいるのは、小児科病棟の医局の側にあるカンファレンス室だ。ナース・ステーションと隣同士になっているため、大声を出すと筒抜けになる。が、たいていは医師が使っている場合がほとんどのため、看護師が顔を出すことはほとんどなかった。
「だって、晃一先生が意地悪言うんですもの」
 満里奈が言い訳をした。
「あなたたちがわがままを言うからでしょう。いっつも、速水先生にご迷惑を掛けているのだから、少しぐらい叱られてもぶーぶー言わないの」
 ぴしゃりと指導される。
「でもー」
「速水先生が間違ったことを言われるはずはないでしょう。失礼なことを言ったりしたのなら、きちんと謝りない」
 小児科の看護師は躾にはことのほか厳しい。親と一緒にいる時間が少ないだけに、彼女たちの生活はすべて看護師に管理されていると言っても、過言ではない。もちろん、彼女たちも厳しいだけではない。が、善は善、悪は悪ときっちりしつけられるのは人間として大切なことだ。
「ごめんなさい」
 一番小さな夏美が謝る。別に彼女は悪いことはしていないのだが、彼女なりに謝った方がこの場のためになると感じたのだ。
「いい子だ」
 速水は自分を見上げて、謝罪を口にした夏美を両手で抱き上げると、その腕に抱いた。父親がずっと自分に会いに来ない理由が分からない夏美は、嬉しそうに速水に抱きついた。
 そして、もう彼女には父親がいないと知っている満里奈や陽菜は、互いに目を見合わせると、
「ごめんなさい」
と頭を下げた。
「それでいいわ。もう、速水部長に迷惑を掛けないように気をつけてね」
 そう言って、看護師はその場を立ち去った。

「本当は悪いなんて全然思っていないのに、よく言えたね」
 田口が二人を誉めると、
「あの場では、それが一番いいと思ったの。だって、邪魔されたくなかったんですもの」
 田口の誉め言葉に、陽菜がちょっと決まり悪そうに答えた。
「すごいね。自分が悪くなくても、謝れるなんて滅多にできないことだよ。なっ、速水」
「まあな」
 速水は片手で夏美を抱くと、満里奈と陽菜の頭をぽんぽんと叩いた。えへっと、嬉しそうに少女が恥ずかしそうに笑った。中学生と言っても、まだまだ親の温もりが欲しい年頃らしい。速水と田口に二人が絡むのも、家族ごっこをしているに他ならない。と田口は思っている。満里奈と夏美は一つ違いの県南の同じ中学校に通っている。そのため、共通の話題も多い。クラスのビデオメッセージには、夏美の部活の先輩が映っていたりする。なので、二人は姉妹のようにいつもくっついている。この二人と同じ病室なのが夏美て、もう一人は高校生の百合子だ。
「ところで、百合子ちゃんはどうした?」
 が、それを気に入らないと顔で、陽菜が満里奈を見た。
「晃一先生。なんで、百合子お姉さんを百合子ちゃんって呼ぶの? 私たちは満里奈、陽菜って呼び捨てじゃなのに…」
 すかさず、満里奈からの突っ込みが入った。
「百合子ちゃんは百合子ちゃんだからな。お前たちは呼び捨てで十分」
「えーっ!」
 また、少女たちの不満が暴発する。何で、何でと、少女たちは速水に詰め寄る。
「百合子ちゃんはレディだからな。お前らは、ガキンチョ。ガキンチョは呼び捨てで十分」
 むーっ。ふくれっ面で速水を睨む二人に、夏美がぷっと吹き出した。それにますます、機嫌を低下させる二人。
「そんなことより、次の愚痴外来の時には、はさみとのりと定規と、よければ、カッターを準備しておいて」
 田口が業務連絡をすると、直ぐに彼女たちの顔から不満は消え、準備物の確認を始める。
「のり、はさみ、定規、カッターですね」
 年上の満里奈が確認する。
「ええ。後はこちらで用意するので、大丈夫です」
「じゃあ、その日に参加できる他の子にも伝えておきます」
「そうしてもらえると、連絡の手間が省けていいですね。頼んでいいですか? それと何人ぐらい参加できるか、今週中に私に連絡をくれませんか? 準備するものがあるので」
「わかりました」
 はっきりと満里奈が約束する。彼女に任せておけば、間違いはないのを田口は知っている。

 田口は極楽病棟に戻ると、入院患者のタズさんに会いに行った。
「タズさん。小児科病棟の子どもたちがおひな様を作りたいと言っているんですが、私にはとてもおひな様の作り方なんて分からなくて…」
「あらっ。それは難儀ですねぇ。私はこの通り手が動きませんから、作ってあげられませんよ。昔ならすいすいって作れたのに…」
 悔しそうにタズさんは呟いた。タズさんは以前、手芸教室の先生をしていた。しかし、脳梗塞で倒れてからは、半身が麻痺してうまく手が動かせない。昔のように物が作れなくなったと嘆いているのを、田口は看護師から聞いていた。
「いいんですよ。タズさんは子どもたちにアドバイスしてくれるだけで。後はあの子たちが自分で作ります」
「結構、面倒ですよ」
「ええ。彼女たちは毎日、退屈しきっています。検査と治療で、自分の学校にも何年も行けない日が続いています。親は忙しくてお見舞いに来ても、慌ただしく帰ってしまいます。せっかく院内で友達になっても、突然、退院が決まったりと、寂しい退屈した日を送っているんです。なので、ちょっとぐらい大変でもがんばると思いますよ」
「…そうなんですか」
 タズは大学病院に入院するほどひどい病気に子どもたちが罹っているとおぼろげながら気づいた。年老いた自分ですら、入院生活は退屈だ。まして、親が恋しい子どもたちが、長期に入院とは…どれほど、大変だろうかと思い至る。
「それにひな祭りまで、一ヶ月ぐらいあるんですよ。その期間でできればいいんですから、タズさんも気が楽だと思いますけれど…。どうでしょうか?」
「私でいいんですか?」
「ええ。あの速水ですら手を焼くわがままプリンセスたちを、上手く扱えるのはタズさんしかできないと思いますよ」
 田口は子どもたちだけではなく、タズも最近、元気がないことに気づいていた。麻痺は少しずつだが軽快している。だが、タズは以前のように手芸ができないと落胆している。それが子どもたちと接することで、元気になってくれればと考えたのだ。
「速水先生が?」
「彼女たちは反抗期ですから、事あるたびに速水に反抗をしてくれるんです。そのせいで、速水の機嫌が悪くなって、オレンジ一階は大変だとか」
「…。それはそれは困りましたねぇ。あのくらいのお嬢さんたちは、中々手強いですから、速水先生もご苦労でしょうね。なまじ、速水先生がイケメンなのも関係しているかもしれませんね」
 タズが面白そうに笑う。それを見て、田口はいい感触だと思う。
「だから、是非、タズさんに頼みたいんです。私では、あのパワーには抵抗できませんので…」
「仕方ありませんねぇ」
 タズはにっこり笑顔を浮かべた。やったーっ!! 田口は内心、万歳だった。これが双方にいい影響を与えるのを田口は予感している。更に駄目押しとして、田口は、
「助手には速水を派遣しますから、思う存分、こき使ってください。私は材料集めの黒子に徹します」
と付け加えた。ますます、タズさんはにっこりした。

「というわけで、お前はタズ先生の助手な」
「まっ、いいけど。それにしても、お前って、老人と子どもと動物にはもてるよなぁ。その秘訣って何だよ」
 しみじみ感心する速水。彼は適齢期の女性にはもてるが、それ以外ではさっぱりな男だ。
「そんなの知るかよ」
「まっ、そのおかげでお前を誰にも取られずに済んだけどな」
 うーん。極楽、極楽とぼやく速水の頭は、田口の膝の上。
「ちょっ、動くなよ。突き刺したら大変だろうが…」
「うん」
 何をしているかというと、田口は速水の耳かきをしていたりする。何でも、部長室で耳が痒かったので、耳かきをしていたら、突然、緊急コールが鳴り、驚いた速水は反射的に耳かきを奥に突っ込んで、即、耳鼻科のお世話になったのだ。それが二、三日前で、耳鼻科医から抗生物質の点耳薬を渡されていた。本来なら、耳鼻科で入れ替えて貰う薬なのだが、患者が速水なので自分でやってねとばかりに、説明書が点耳薬と同時に渡された。
 といっても、自分で自分の耳に薬を入れられるわけなく、速水は田口に手伝って貰う羽目になっていた。そして、ついでに耳かきもしてもらっているのだ。
「それにしても、災難だったな」
「まあ、耳かきをしながら、論文に集中していたからな。やっぱり、耳かきはそれだけに集中できる静かなところですべきだな。お前も気をつけろよ」
 耳かきは結構危険な行為なのだ。それぐらい、もっと早く気づけよ、速水。というのが、田口の見解だ。
「それにしても、これっていい加減すぎやしないか?」
 薬の使い方説明書をちらちらと振りながら、田口は速水にぼやいた。
「耳鼻科は俺が嫌いなんじゃないのか? 俺としては別に意地悪はしていないとは思うが…。見解の相違なんだろう」
 そんな問題か?と田口は思う。速水を嫌うとは、無謀な戦いを挑んでいるようなものとしか言い様がない。まっ、男としては速水を嫌う気持ちも分からないでもないが…と田口は思う。
「やっぱ、人にして貰う耳かきっていいよなぁ」
 うっとりご機嫌な速水に、田口は勝手にしろである。とはいっても、片方の耳しか耳かきはできない。
「小さい頃は母親にして貰うのが嫌だったな。がしがしと痛くて、いたって言うと、うるさいって怒られた。その点、父親は丁寧にしてくれるから、いっつも耳かき握って、父親に頼んでた」
「へぇ。うちはどっちでもよかったな。ただ父親にして貰うと、必ず動物の耳の話を聞かされた」
「耳って言えば、ありすは耳かきしなくていいのか?」
「ありす?」
「耳垂れているから、汚れないって事ないよな」
 耳垢は外からのゴミが付着してできるわけではない。耳の中の皮膚の表面がはげたり、分泌物が固まったりと、色々な要素が絡んでいる。
「いや、普通に汚れるんじゃないか?」
「後で、耳チェックしてみるよ」
 そう田口は言いつつ、ありすの耳の中ってどうなっているのだろうと考える。基本は人間と同じだろうが、何しろ、耳が垂れていると重くないのかとか、どういう仕組みで垂れているのか?など疑問が次々と沸いてくる。
「そういや、3月3日って“耳の日”でもあったんだな。すっかり忘れていた」
「そうだな。ひな祭りの方が有名だもんな」
 同じように、10月10日の“目の愛護デー”も、以前は祝日「体育の日」で存在が薄かった。今は、「体育の日」がパッピーマンデーのせいで、移動したので、存在は大きくなったかもしれない。
 1月1日は元日。2月2日は何もなく。3月は3日がひな祭り。4月4日は…。5月5日は「こどもの日」。6月6日は、うーん。オーメンの日? 7月7日は「七夕」。そう考えていくと、日本には重なった月日に、いろいろな記念日が設定されているらしい。意味があるのかなぁと、ぼんやり田口は思う。
「行灯。手が止まっている…」
「あっ、ごめん」
 相変わらず、ラブラブな二人をありすは長い耳を掃除しながら眺めていた。


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    うきらさんからもらったヒントを使ってみました。小児科のプリンセスたち。段々、人数が増えているような。
そのうち、AKBぐらに増殖したらどうしよう。しかも、病棟には男の子もいるんだよねぇ。
平成23年2月13日(日) 作成 掲載
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