ハロウィーン in 小児科 本文へジャンプ

 夏の猛暑もようやく落ち着いた10月。いつも忙しい救命救急センターの二階、小児科病棟ではせっせと手の空いた看護師が作業をしていた。机の上に広げられていたのは、画用紙にはさみ、のりに絵の具に折り紙。まるでどこかの保育園のようになっていた。
「今年はジェネラル、何になるのかしら? 聞いている?」
「いいえ。下の結束はベルリンの壁並みだから、教えてもらえなくて…」
「私も田口先生に鎌かけたんだけど、あっちもダメだったわ」
「例年、吸血鬼だから、今年もそうじゃないの?」
「どうかしら。子どもたちもジェネラルの吸血鬼は大好きだけど、田口先生が“マンネリになってないか?”って呟いているらしいから、今年は違うんじゃないの?」
「そうねぇ」
 オレンジ二階、小児科病棟。今年もオレンジ新棟を中心にハロウィーンに燃えていた。一階は救命救急センターだが、二階には小児科と産婦人科が入っている。大きな病気で入院している子どもや女性にとって、辛い入院生活を少しでも楽しくということで、いろいろな季節のイベントを取り上げている。
 その中心を担ってるのは、小児科の看護師たちだ。しかし、もともと彼女たちはオレンジ新棟部門という一括した看護体制になっているので、一階と二階の看護師の交流はよく行われていた。ちなみに、二階は『白髭皇帝の殿前軍』と呼ばれている。一階は『ジェネラルの近衛兵』と呼ばれている。
 医師に関しては、二階は小児科・産婦人科のため、女性が多い。一階は救命救急センターのため、女性は一人だけで、後は全員男だ。そのため、ほとんど交流は無かった。
 それでも、同じ棟にいる関係か、小児科のイベントにはよく一階の医師たちは駆り出される。それは非日常的な時間を過ごすことが多い彼らにとっても、気分転換になるので、時間がある限り、積極的に参加する姿が見られた。

「こーへー先生。こーいち先生は、何になるって言ってた?」
 オレンジ二階を通りがかった田口を捕まえて、保育園児の優花が尋ねる。
「うーん。まだ聞いてない」
「ふーん」
 ちょっとがっかりした幼児の後ろに控えるのは、これまた、小学校の高学年の少女。思春期に入り始めた少女たちにとっておっとりした田口は色々な愚痴をこぼしたり、わがままを聞いてくれる存在だ。しかし、その陰には将軍こと『ジェネラル・ルージュ』への憧れが見え隠れする。のを、ちゃんと田口は気づいている。院内一いい男の称号は、年齢を問わず健在なのを田口は複雑な目で見ていた。
「今年はドラキュラじゃないらしいよ。それがヒント。でも、看護師さんたちには内緒だよ」
 田口がしぃーと自分の唇に指を当てて、小さな声で優花に囁くと、まだ人間にも進化していないくせに、優花は大きく頷いた。
「言わない。でも、お姉ちゃんたちにも内緒?」
「いいや。看護師さんには内緒だよって言ってからならいいよ。でも、お話しするときは小さな声でするんだよ」
 田口は楽しみの少ない小児科の子どもたちに、楽しいわくわくする話題を提供した。子どもたちは内緒話が大好きだ。特に、女の子は。保育園児から高校生まで、この手の話での彼女たちの結束は毎回、驚くほど強い。
「公平先生。晃一先生の仮装が何か分かったら、絶対、教えてよ。ねっ」
 今まで優花の後ろにいた陽菜が、いそいそと田口に近づくと、これまた、小声で言う。
「うーん。陽菜ちゃんだけに教えたら、他の人たちが怒るから。それに、私がばらしたのがばれたら、速水先生に怒られるからなぁ」
 田口はさりげなく一人を特別扱いしないと告げる。
「そっかぁ」
 どうやら心当たりがあるのだろう。陽菜はひとしきり考えているようだった。
「じゃあ、晃一先生がいいって言ってくれたら、看護師さんたちより先に私たちに教えてくれる?」
「いいよ」
「たっのしみー」
 そうにっこり笑うと、陽菜は優花の手を引いて、病室の方へ消えた。

「お前、今年は何になるつもりだ?」
 田口は滅多に足を踏み入れない救命救急センターの医局で、速水に尋ねていた。
「ああ。ドラキュラもそろそろ飽きたから、フランケンでもって思ったら、子どもが怖がるから止めろと言われた。なので、まだ、思案中」
「ふーん」
 といいつつ、田口は速水のフランケンシュタインを想像する。確かに、怖いか…も。ハロウィーンでの仮装の定番は、ドラキュラにフランケンシュタインに、骸骨?スパイダーマン? 他に何があるんだろう。田口は首を捻る。
「お前だって、期待しているくせに」
 にやにや。速水が下から田口を覗き込む。
「うちの女性陣ほどじゃないけどな」
「ちぇっ、面白くないやつ」
 ああ。と速水がふて腐れて、医局の研修医専用の机に懐く。
「まあ、でも。いつもは俺様でいるお前が、小児科の子どもたちにおもちゃにされているのを見るのは楽しいけどな」
「俺はお前が子どもにすらもてるのが、腹立つけどな」
「…速水…」
 大人げなさ過ぎる速水に田口は、ため息をつく気力もなくなる。こんな奴だと知っていても、改めて聞くと喜んでいいのか、大人げないと戒めるべきか悩む。
「見解の相違だな。で、何に変身するんだ? 一応、考えてはいるんだろう」
「うーん。でも、言ったら、笑うから当日まで内緒♥」
 速水は可愛い子ぶって、にへっと笑った。せっかく貴重な時間を潰して、敵前偵察に来たのに、これでは無駄足だった。でも、これで撤退する田口ではない。ぼちぼち前線を崩せばいいだけだ。田口にとって、子どもたちとの約束は絶対だ。
 そんな田口の思惑など気づかず、速水は田口持参のコーヒーにご満悦だった。


 そして、ハロウィーン当日。この日のために、速水は通常業務を休んでの参加だ。前日、当直だった速水は同じように当直だった田口のいる極楽病棟の当直室で、変装していた。
「今年のテーマは、猫娘」
と言いつつ、速水は猫耳と猫しっぽを自分にセットする。真っ黒の猫耳は速水の頭の上にちょこんと乗ると、全然違和感がないのが怖い。しっぽもなぜかしっくりくる。
「可愛い?」
 えへっと鏡の前で、にゃーっとポーズをとる速水。当直明けのテンションのまま、暴走しそうな気配十分だった。
「ちなみに、これ、お前の分。で、こっちが、ありすの分」
「は?」
 田口の返事を聞かないまま、速水ははいっと差し出した猫耳を有無を言わさずに、田口にセットする。
「ちょっ、待て! 取れないって!」
 慌てる田口をよそに、速水はにんまり。
「これ特殊な接着剤で止めるようになっているから、滅多なことじゃ取れないんだなぁ。でも、大丈夫。後で取ってやるから♥」
「そんなのありすにはめるな」
「ありすのはただの帽子。お前のは本格的なの」
 などと、もめているうちに始業チャイムが鳴った。
「やばい。遅刻すると兵藤に絡まれる」
 田口は叫ぶと慌てて、当直室から飛び出し行った。
 医局のドアを開けると、一斉に田口に視線が集中し、次に医局員全員の目が点になった。
「さすが先輩。院内イベントには敏感ですね。猫耳。可愛すぎます、それ先輩の趣味ですか?」
 朝から怪しいテンションで医局長の兵藤が、田口に近寄る。
「いやっ、これは」
 田口が言い訳をせねばと、思った時、
「ちがーぜ。俺の趣味」
と医局のドアからひょいっと顔を出したジェネラル・速水。
「はや…み先生。どうして、ここに?」
 天敵出現と言わんばかりに、兵藤神経内科病棟医局長の息が止まった。そんなの田口先生ラブなんだから、いて当たり前でしよう。この場に看護師が居たら、一言で言い切られるだろう事すら、兵藤は思いつかなかったのか。哀れみと速水への憧れを込めた複雑な目が二人に向けられる。
「速水先生…。それっ」
 神経内科の若手医師が速水に絶句した。
「これか? 小児科のイベント用だ。可愛いだろう」
「……」
 誰もコメントしない。というか、できないが本音。何しろ、相手は泣く子も黙る救命救急センターの部長、速水晃一なのだ。
「何で黙ってるんだ? 兵藤先生、医局員の躾ができてないぞ」
「あっ、いえ。とてもお似合いです」
 とってつけたような兵藤の発言に、田口はため息。
「速水、うちの医局員をいじめるなよ。だいたいお前に対して、可愛いなんてとてもじゃないけど、言えないのぐらい察せよ。」
「んじゃ、お前が代わりに答えろよ。可愛い?」
 お気に入りの猫にゃーポーズで田口に、にっこりする速水。
「可愛いよ。とっても、ハロウィーン一日だけにしておくにはもったいないぐらい可愛い」
 とってつけたような田口の棒読み台詞にも、めげずに速水は満足の笑顔全開。
「田口もかーいいぜ。それ絶対に取るなよ」
 そう言い残すと、速水は風のごとく去った。後に残ったのは、何とも言えない居心地の悪さだけ。
「…、取りあえず、本日の業務確認を始めます」
 冷静な本日の司会者のおかげで、田口はそれ以上、恥をさらさずに業務に入れた。


「にゃんこだ」
「猫だ!」
 小児科病棟では朝から大騒ぎが起きていた。速水が猫耳・しっぽでやって来たのだ。
「俺は今日は猫だから、お前たちも俺には猫語で話せよ」
 昨年までは、あまりにも当たり役のドラキュラだったので、小さい子は怖くて速水に近づけずにいた。少し大きい子も、速水の迫力に近づけずにいた。よって、速水は子どもたちからは鑑賞されるだけだった。しかし、今年は違う。
「猫語ってどんなの?」
「猫語はなぁ。言葉の後に“にゃ”って付くんだ。たとえば、“私の名前は速水晃一にゃ”っというようにな」
 速水は器用に“にゃ”の後には、手で猫の真似をする。その姿に子どもたちは大喜び。“にゃ”“にゃ”とひとしきり、猫語の練習をする。それを遠目に、小児科の看護師たちは、また、いらんことを教えてと思うが、相手は速水だ。師長の猫田がでない限りは黙認せざるおえなかった。


「田口先生…」
 藤原は出勤して、田口を見て即絶句した。
「これっは!」
 慌てふためく田口は必死に、頭上の猫耳を隠そうと、手で押さえつけた。
「とっても、お似合いですわ」
「はぁ?」
「それ速水先生の仕業でしょうから、田口先生には対抗できまなくて仕方ありませんわね。まあ、今日は外来はありませんから、いいんじゃないんですか?」
 確かに今日の外来患者は居ない。が、院内患者の予約は入っている。
「そうでしょうか?」
「そういうものです」
と藤原に言い切られてしまったら、田口はじゃあいいかと思ってしまう。
「でも、私だけハロウィーンじゃあ。今日がハロウィーンて、誰も気がついてくれないと思うんですけど」
「だと思って、用意をしてきましたわ。さっ、田口先生も手伝ってください」
と言いつつ、藤原はどさっと机の上に紙袋を乗せた。中に入っていたのは、ハロウィーンのグッズの数々。田口はジャック・ザ・ラタンに魔女、化け猫にドラキュラ、クモやトカゲなどのオーナメントを壁に貼る。そして、机にはカボチャを飾る。ちょっと中途半端な感じもしないでもないが、これで田口だけが浮くことはないだろう。
「で、今年の速水先生は?」
「本人は猫娘って言っていますが、単に化け猫です。猫耳に、しっぽを付けてルンルンと鼻歌を歌いつつ、オレンジに帰りました」
 うんざりした顔で田口が言うと、藤原はくすくす笑う。
「今頃、小児科で嵐を呼んでいることでしょう」
「でしょうね…」
 とは言ったものの田口は、子どもたちと大騒ぎしている速水が想像できない。速水自身は子どもが嫌いということは無いようで、誰に対しても分け隔て無く速水流の愛情を注ぐのだが…。もともとが、熱血だが外科医なので、馬鹿騒ぎをする姿など昔から見たことがなかった。
「あとで小児科に行ってみてはいかがですか?」
「ええ。時間があれば…」
 怖いもの見たさで行くべきか。行かないべきか。田口は真剣に悩み始めた。

「お菓子をくれないと悪戯するぞ。にゃ♥」
 田口が本館二階の外来を通ったとき目にしたのは…。小児科の子どもたちの群れに、背の一際高い猫耳が見えた。どうやら、子どもたちをつれて、お菓子の回収に回っているようだ。全員で10人ぐらいはいるだろうか。下は保育園ぐらいから、上は中学生ぐらい?の子どもたちが、楽しそうに笑っていた。そして、速水が腕に抱いているのは保育園より更に小さい子ども。みんなお揃いの猫耳を付けている。
 外来の看護師たちも事前に連絡を受けていたのだろう。可愛いカゴを手に、子どもたちにお菓子を配っていた。中には、カメラを向けている看護師もいた。子どもたちはそれぞれに洒落た服を着ている。普段は可愛い服など着られないし、小児科の病棟からも出られないだけに、今日は特に嬉しいのだろう。笑顔がきらきらと輝いていた。
 驚いた顔をしているのは、この場に居合わせた外来患者たちだ。それでも、子どもたちの可愛い姿に目を細める人が多かった。何しろ、子どもたちを引率しているのは、誰が見てもいい男だと断言するだろう速水晃一なのだ。当然、こっそり携帯で写真を取っている人もいる。
 あの笑顔が来年も見られるとは分からない。そう気がついた田口は、急いで愚痴外来に戻ると、デジカメを手に戻った。
「速水!」と声をかけると、「よう、行灯」と速水が笑った。子どもたちも田口に気がつくと、“こーへー先生”と言って走り寄って来る。そして、田口を見て、口々に“こーへー先生にも耳がある”と大騒ぎ。それを見た速水が子どもたちをしぃーっ黙らせると、
「こーへー先生に耳があるのは当たり前だにゃ。何しろ、こーへー先生は俺の」
とおもむろに言い出した。
「奥さんだにゃ」
 続けて、子どもたちがにゃっ、にゃっ、と口々に言う。
「あたり」
「ちょっと、待て! 今、何て言ったの?」
 田口は慌てて、ずらっと並んだ子どもたちに聞き返した。
「え? だって、晃一先生に猫耳があるのは、こーへー先生に耳があるからにゃあ」
「晃一先生、朝起きたら耳があったんだって。でね、こーへー先生を愛しているから、今日は耳が生えたんだって、にゃ」
「公平先生と晃一先生は二人で一人だから、猫耳が一緒に生えたんでしょ?」
 語尾ににゃあ、にゃあを付けながら、子どもたちは自分の言いたいことを一気にしゃべる。田口は何が何だか分からなくなり、ただ子どもの言うのを聞くだけ。結局、意味不明に終わった。
 特に小さい優菜は速水の腕の中から、田口の耳に手を伸ばて触りまくる。
「お前、また子どもたちを言いくるめたな」
「俺は事実を言っているだけだ。田口は俺の嫁だから、触るのはいいが、やらないぞってな」
 こんな子どもにもライバル意識を抱ける速水に、田口はいい加減驚くのは止めた。
「はいはい」
 こんな人目があるところで、速水に暴走された日には転職を考えないといけなくなる。
「で、悪いが行灯。優菜を抱っこしててくれないかにゃ? そろそろこっちも眠そうだからにゃ」
 速水は片腕に抱いていた優菜を、ひょいと田口に渡すと、自分の足にすがりついている男の子を抱き上げた。小学校の低学年の和志は県外から入院している。一週間に一回、桜宮市の隣に住んでいる祖母が見舞いに来てくれる。しかし、両親は彼の治療費を稼ぐために、一ヶ月に一回ぐらいしか面会に来られなかった。
 速水の身長は180センチを超すので、彼に抱っこされると視界が高くなり、子どもたちは大喜びする。和志も例外ではなく、今まで眠そうだった目がきょろきょろと物珍しげに周りを見回し始めた。
 それを微笑ましく田口は見ながら、カメラを子どもたちに向ける。小児科の看護師たちが飾ってくれたのだろう。子どもたちの服には、いろいろなシールが貼られてあった。髪の毛も小さなカボチャが止めてあるなど、ハロウィーン仕様になっていた。
「んじゃ、次行くかにゃ」
 そう言うと速水はさっさと子どもたちをつれて、次のターゲットへと移動する。
「ちょっ、速水。優菜ちゃんを忘れるなよ」
「優菜は行灯に任せたにゃ。俺は和志だけで手一杯だにゃ」
 無情な速水の一言に、田口はため息。そんな彼の心など気にせず、子どもたちは“行こう、行こう”と田口を引っ張る。仕方なく、田口は優菜を抱いたまま、速水の後を付いていった。
 もちろん、行く先々で嵐を呼んだのは言うまでもない。田口と速水。ある意味、東城大学医学部付属病院の二大スターと言われる二人のハロウィーン猫耳、しかも、それが一緒に居るのだから、大騒ぎになるのは当然。もっとも、田口は速水って、やっぱり人気者だなぁと呑気に眺めていた。


 いつになく速水に翻弄された田口は猫耳のまま、帰宅後はぐったり布団に懐いた。そして、それを見逃す速水ではない。しっかり田口をいただいて、満足したのだった。


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  突発ハロウィーンネタです。
突然、思いついて、そのまま書き殴ったので、収拾はできないまま終わっています。
平成22年10月31日(日) 作成・掲載
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